Thursday, July 29, 2010

祈りはわたしたちのこころを新たにする

こころを新たにしなさいー。
こころを新たにしなければ
わたしたちは回心することができないのです。
場所を変えても、仕事を変えても
それだけではわたしたちは回心できません。
ただこころを新たにするしかないのです。

でも、どうやって?
祈ることによってです。
こころを新たにする一番たしかな方法は
 ゆるしの秘跡を受け、
 ご聖体を拝領して、主と一致することです。
そのとき、わたしは平和で満たされます。

祈りは喜び、
 祈りは愛
  祈りは平和

これは口で説明できるものではありません。
祈りは体験しなければならないのです。
それは不可能なことではありません。
神は求めるものにそれを与えてくださいます。
「求めよ、そうすれば与えられる」
父親は、子供たちに何を与えればよいかを知っているではありませんか。
天の父なら、なおさらです。

祈りは沈黙から始まります
 神は静かなこころに語りかけます。
 わたしたちは満たされた心で神に話し始めるのです。
 神はじっと聞いてくださいます。

祈りは聖書から始まります。
 話しかける神に耳を傾けるのです。
 神のことばでいっぱいになったこころで神にお話するのです。
 神はじっと聞いてくださいます。

ともに聞きあい、ともに語り合う。これが本当の祈りです。

祈るためには清いこころが必要です。
 清いこころで神を見ることができます。
 イエスを愛し、イエスの生き方を生きるには
清いこころが必要です。
 ラザロの生き方、マリアの生き方
 ご聖体の生き方、ご受難の生き方
主がわたしたちに用意してくださっている生き方を。

生きているのはわたしたちではなく
 わたしたちのうちに生きるべきお方が生きておられるのです。
わたしたちの中でイエスにご自分の生き方を生きていただくこと
 それが祈りです。
イエスにそうしていただけばいただくほど
わたしたちはキリストに似た者として成長していくのです。

神がわたしたちを愛しておられることを知るために
祈らなければなりません。
 イザヤは次のような神の美しいことば記しています。
 「わたしはあなたの名前を呼んだ。あなたはわたしのもの。
  大水があなたを襲うことはなきう
  火の粉があなたに降りかかることもない。
  わたしは国々をあなたの手に引き渡す。
  あなたはわたしにとって大切なものなのだから。」
神はわたしたちのことを大切に思っておられます。
  道端で死にゆくあの人も
  あの大富豪も
  あの罪人も
神にとっては皆、大切なのです。
神はわたしたちを愛しておられるのです。

祈りの実りは、信仰の始まりです。
 信仰の実りは愛です。
  愛の実りは奉仕です。

しかし、祈るためには
 こころの静けさが必要です。
わたしたちのこころは、静かなところに退いて祈るために、
また、口や目や全身を使って祈るために、時間が必要です。
その静けさがないならば、どうやって祈ればよいのか、わからなくなるでしょう。

この祈りを広め、わたしたちの生活に生かすことができれば、大きな影響を受けるでしょう。この祈りはイエスに満ちています。「神の愛の宣教者会」の生活を特徴づけているのはこの祈りなのです。

愛するイエスよ
 わたしたちがどこにいても、あなたの香りを
 ただよわすことができるように助けてください。
 あなたの霊といのちで、わたしたちのこころ満たしてください。
  私たちのいのちのすべてが
  あなたのいのちの輝きそのものになるほどに
  わたしたちの中に入り、完全にあなたのものにしてください。
 わたしたちをとおして、わたしたちの中で輝いてください。
 わたしたちの接する人が皆
 あなたの現存をわたしたちのこころに感じ取り
 わたしたちではなくあなたを見つめることができるようにしてください。
  わたしたちと一緒にいてください。
  そうすれば、あなたと同じようにわたしたちも輝き出し
  隣人を照らす光となることができるからです。
 イエスよ、光はすべてあなたから発するのです。
 わたしたちからではありません。
  わたしたちをとおして人を照らすのはあなたなのです。
  わたしたちの周りにいる人を照らし、
  あなたの一番望まれる方法で、あなたを称えられるようにしてください。
 あなたを宣べ伝えさせてください。
 ことばによってではなく、わたしたち自身の模範によって
 人をとらえる力によって、人のこころに共感を呼び起こす行動によって。
 わたしたちのこころに満ちるあなたへの愛の証によって。
 あなたを知らせることができますように。

調子のいいとき、悪いとき、病気のとき、悩みのときがあります。
それらはみな、十字架の一部です。イエスに完全にならおうとするなら、
  主のご受難にもあずからなければなりません。
  だから祈らなければならないのです。
  だから命のパンが要るのです。
  だから礼拝するのです。
  だから罪のゆるしを受けるのです。

わたしたちは多くのことを複雑にしてしまうように、祈りについても難しく考えてしまいます。
でも、それは、分かたれない愛でイエスを愛するーあなたにとっても、わたしにとっても、誰にとっても、ただそのことなのです。
「わたしが愛したようにあなた方も愛し合いなさい」とイエスが言われたとおりにするとき、その愛が行動に移されるのです。

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